やっぱり、神話や、習わしって大切だったんじゃないかな?と思う😌
エビデンス...証明されればされるほど置き去りにされてきた見えない世界。いや見えていた世界がどんどん遠くなっていく。
なんて言うと、ヘンな奴!ってなるんですが(もう慣れたけど)、少し心配なのは今またどちらかと言うと科学が進みすぎて(進んでいいと思ってる派)、理解できる人(興味持てる人)とできない人(興味持てない人)との溝が深くなりそうだなーと言う事。
その溝はたくさんの思考停止を引き出しちゃうし、判断して決断までに時間がかかる要因になりがちで自らの決断(自力、自立、生き抜くと言う事)を諦めてしまいがち。
でもこれは仕方ないよねʅ(。◔‸◔。)ʃ…?
高度で高速な社会なんて頭がいい人しか理解出来ないよ。(逆を言えば、そのくらい進歩したと言う事。)
今、判断不明な事が分かりやすくなるまでは、つまり新しい事象が確かな明日になるまでは、正直言って優しく待つしか無い。
その間出来る事無いかなって考えてみる。。😌
鬼滅の刃が流行したあの時、それぞれがナニカを感情でキャッチしたように、わたし達の見えない精神が大切にしてきた物事も、今再びナニカに置き換えるフェーズなのかなと思った。目に見える伝統工芸や芸能だけで無く。
江戸時代はどちらかと言うと『幽霊の時代』なんだって。『鬼の時代👹』と『幽霊の時代👻』。確かに我々の国のデビルは色々ある。この2つに共通した部分は『恐れ』で、昔の人々は恐れから必死に学ぼうとしていたのかなと思うと、今は...?
『正しく恐れる事が難しい時代。』
これはわたしなりに今はどんな風になるかなと考えてみたがこんな言葉しか出て来なかった。
やっぱり今は屋根の下で食べて寝れても
前進するには難しい!!!!
けれども、
今よりもっと証拠なんて無かった
無鉄砲な時代の知恵や営みのツボに
生きることそのものを
教わりにいく時間にするのはどうだろう?
この切実なジレンマを無駄にしないように。
松明と洞窟を
キャンドルと寝室に変えて
本を読んでみたり。
影で作り話をしたり。
星を眺めてみたり。
(書いてみたがかなり在り来たりだった💧)
(いやでも、書き出す行為には
素晴らしい気付きがある!!!)
そう考えると
わたし達の先祖の夜は
とても知性的な時間だったのかも🤔
逆に昼は狩をしたり農作をしたり
アクティブだよね🍗🌾
スマホは昼夜問わず
1台でたくさんのことが分かるけど
物事に疑問を持つことは、
はたしてどのくらい出来るだろうか。
特に子どもたちにはリアリティを持って
五感を動かしてたくさんの疑問をもって欲しい。
そのきっかけ作りは親だけでない!
大人たちがみんなで童を可愛がり
担う必要があるって思ってる。
やはり、神話や、習わしを自らやって
小さくでも誰かに語ってみるって
大切だったんじゃないかな?と思う😌
生活と文化が溶け合っている状態。
MOMOTUSが言うのもおこがましいが
『文化的に暮らそう!』は
このある種の待ち時間に
チャンスをくれている気がするのだった。
(ラストチャンスかもだけどw)
そして今日わたしは
このラジオを聴きながら
真剣に民俗学と言う学問に
興味を持った気がした。
取り止めもない文だが
鬼が教えてくれたのかもしれないから
言うことを聞いて書いておく...✍️
トーキング ウィズ 松尾堂
「令和に“鬼”を語る」 - NHK
小説家…京極夏彦,
佛教大学教授・民俗学者…八木透,
【司会】松尾貴史,加藤紀子
ではでは👹
またまた...🐈⬛
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